記号の力:私たちが無意識に受け入れる「アイデンティティの象徴」

人間には、無意識のうちに記号や象徴を探し出し、それに集まり、その記号が持つ意味やコンテクストに同意/同化する傾向があります。
この行動は、社会的な接続感やアイデンティティの構築に深く根ざしています。

アイデンティティというのは「自己が他人とは異なるものである」という認識である一方、アイデンティティの構築にも集団が共有する記号が必要だというのは皮肉な話です。


この傾向が分かりやすく顕れるのは、スポーツのナショナルチームの活動に対する私たちの反応です。
スポーツの「日本代表チーム」が外国チームと試合をするとなれば、多くの日本人が無意識に贔屓目に応援しようとします。あるいは、その真逆の反応として、過度に悲観的な感想を述べたりします。

言ってしまえば他人が競技に没頭している状態を観察しているだけにすぎません。
にもかかわらずこのような話題が人を惹きつけてしまうのは、好むと好まざるとに関わらず、「日本」というキーワードに私たちが無意識にある種同化してしまっているからです。


この同意/同化は、このような象徴的なイベントがあれば顕わになります。
ですが、たまたまイベントがあるとより顕わになるというだけのことで、普段から私たちにはこのような様々な記号に同意/同化しています。

「国」、「地域」、「一族」、「○○ちゃんのお母さん」といった来歴・家族歴につながる切り離し難いものだけでなく、所属する会社等も同意/同化の対象です。
さらに言えば、一時期僕を惑わせた「プラスアルファの魔法」という言葉を紹介しました。このような行動規範になるような言葉、同じ言葉を信奉する人たちの一群、その言葉を発した人を頂点とした構造化された集団などもこの類です。その先には宗教もあります。


記号という意味で言えば、このメールを読まれているあなたが有する名前もそうです。

僕の名前は「小川慶一」と言います。

実は、もうこの名前には飽きています。人生で何回書いたかしれません。
しかし、公的な書類でであれメールへの返信への署名でであれ、書けば書くほど、「小川慶一」という記号が象徴する何かが先に立ってしまって、自分が自分そのものではなくなってしまうような感覚があります。

名前を有する前の僕がいるとして、名前をつけられた途端にものすごく重たい制約に支配されてしまう、そんな感覚です。

「これまであのように生きてきた。そして今ここにいる。だからこう振る舞わねばならない。あんなことを気にして、こんなことに気を使って、そして、これは得意、あれは苦手。未来はこのままならばきっとこんな感じだろう。思いつく範囲のやれそうな範囲の突拍子もないことをしたとしても、たぶんこの範囲」と、先に記号が顕れると、自分の自由を制約されるような感じです。

これがアイデンティティの行く末だとしたら、なんとも皮肉なものです。
「何か特別なものになろう」というわけでもなく、ただ「自分であろう」とするだけで、人は制約に置かれてしまいます。

あなたの名前は、あなたをどう制約しているでしょうか。


記号は人を振り回して自由に扱いますが、記号に振り回されていると、本当の自己を見失います。


記号に振り回されず、真の自己を発見する旅への第一歩としておすすめの提案がひとつあります。

このような状況に対する新しい選択のひとつは、意識して、記号から離れてみることです。
人は、自分のアイデンティティに結びつく記号の一切から離れることで、意識を自由にすることができます。アイデンティティを当然のものと思われている方には、新鮮な感覚が得られるでしょう。


「地図」、「気づき」、「選択」、「手順」という話についてはいつも書いています。
ここで言う「気づき」とは、「あれは○○だ」、「○○な感じがする」といった言語で表現される前の知覚のことを指します。「あれは○○だ」というように言語化しようとした段階では、すでに「選択」がはじまっています。
  • 簡単なワークをひとつ紹介します。

    自分のアイデンティティの基になっている記号や概念を見つけてください。
    上に示した「国」、「地域」、「一族」、「○○ちゃんのお母さん」といったもの、会社、出身校、趣味で属している集団、名前、ニックネーム等々、いろいろあるでしょう。

    その中で、今いちばん距離を開けたい記号をひとつ見つけてください。
    そうしたら、その記号を自分の中から取り出してみてください。ついでに、その記号にまとわりついたもろもろも取り出すつもりで。
    取り出してみたら、それを観察してみてください。どんな色、形をしていますか。肌触りはどんな感じですか。温かいでしょうか、それとも冷たそうでしょうか。
    それが発している音、言葉などがあれば聞いてみてください。

    それは、あなたに、どのように振る舞えと言っていますか。

    ひとしきり確認したら、「これは私になくても良いものです」と言って(このメールを呼んでいるが電車内などであれば心の中の声でもかまいません)、どこかできる限り遠くに放り投げてしまいましょう。

    そのあと、しばらく、自分の感覚を感じてみます。

    「思いつくかぎりどんどんやってください」と言いたいところでもありますが、強力で、またかなり重たいワークです。
    ですので、一度にやるとしても記号3つまでにしてください。

    やってみた感想など、ぜひ聞かせてください (^^
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