満場一致のパラドックス

「満場一致のパラドックス」とは、「満場一致の見解が結論として出たとするならば、その見解は正しくない可能性が高い」というものです。

たとえば、「コイントスでは表のほうが裏よりも出る確率が高い」という仮説を立て、その検証のためにコイントスを実際に行ったとします。
試行回数は100回とします。

「表が100回中52回出た」としたらどうでしょうか。
なるほど、ひょっとすると、「コインの表裏では彫られた模様の違から重さのバランスが異なるので、表のほうがより重たいからだ」等の結論は導けるかもしれない...という気はします。

「表が100回中65回出た」としたら、ますますその可能性を感じるかもしれません。

しかし、「表が出たのが、100回中100回だった」としたらどうでしょうか。
これはもう、実験の仕組みそのものを疑うべきでしょう。


上記の例は「コイントス」に関するもので、集団での議論や多数決のような個人の意志の集約とは異なります。

でも、とある議題について10人でディスカッションして全員の意見が一致するようなことがあったならば、そのときは、「全員の意見が一致したならば、その結論は間違いないだろう」ということではなく、「議論の進め方に問題があったのではないか」と問うべきだというのが「満場一致のパラドックス」が示唆することです。

実際、もしも「満場一致」の見解が議論で出たならば、たとえば以下のようなことは見当すべきでしょう。

1. 参加者の意見表明に強力な力を加える圧がどこかからかかったのではないか。
2. 参加者の判断を誤らせるような偏見がかかっていたのではないか。
3. 参加者の選定に偏りがあったのではないか。
4. 議論の進め方に問題があったのではないか。


1. 参加者の意見表明に強力な力を加える圧がどこかからかかったのではないか。

ムラ社会ではよくあることです。
有力者の権威が強くて、参加者にとって、その有力者と異なる意見を有するとみなされるだけであとあと不利益が生じるのではと思わされるような場です。

そんな場では、意見の表明を求められても、参加者は、「有力者の意見と異なる意見を表明するのは控えよう」と考えてしまいがちです。
むしろそれ以前に、「有力者と同じ意見を持つようにしよう」と無意識に思わされるようにすらなってしまいます。


2. 参加者の判断を誤らせるような偏見がかかっていたのではないか。

「殺人事件の容疑者が5人います。それぞれ、以下のような風貌でした」となったとき、あなたならば、誰がいちばん怪しいと感じるでしょうか。

・容疑者A: 小柄で色白でメガネをかけた図書館の司書
・容疑者B: ネクタイ、スーツ姿の、オドオドした様子のIT企業のエンジニア
・容疑者C: エプロン姿のお料理好きそうな女性
・容疑者D: 多くのタトゥーとピアスをした、「自称経営コンサルタント」の男性
・容疑者E: スポーティな格好をした、アクティブで元気な印象の女子大生

人間の記憶なんてあいまいなものです。
「そのときその場であなたが見かけた人物は、鼻にピアスをしていませんでしたか」なんてしつこく聞かれていると、最初はそんなことはないと思っていても、だんだん「そうだったかな」という気になってしまうものです。

実際、犯罪捜査の世界では、目撃者の証言があまりにも一致しているときには、調書の取り方等の捜査の進め方自体に瑕疵があったのではないかと疑うべきとされているそうです。


3. 参加者の選定に偏りがあったのではないか。

現場部門からの参加者がない管理部門だけで集まった会議で予算編成を行い、について話しあい、「今年は去年同様に前年比15%増の売上・利益を見込んで予算を編成すると決定した」といった場合です。

予算編成会議には、現場の意見を代表して率直に意見を述べられるような参加者を含めるべきでしょう。


4. 議論の進め方に問題があったのではないか。

「議論の進め方」ではなく、このメルマガの読者向けにITの事例で説明するならば、「プログラムの動作確認」をしていたとして、「そもそも動作確認の方法に問題があった」というような場合です。

品質について未知なプログラムの動作確認をして、「どのテストも100%通りました」とか「どのテストも100%失敗しました」とかいった結果が出たのであれば、テストそのものを一度は疑うべきでしょう。

あるいは、ネット投票のシステムで「◯◯候補者が100%の得票をしました!」というような場合です。
「その候補者にそれほどの人気があったのだ」という結論を出す前に、先に疑うべきは、ネット投票システムのバグのほうでしょう。


ほかにも、「議題がそもそも不適切なのではないか」等、満場一致のパラドックスの理由としては、いろいろな可能性が考えられそうです。


上記のとおり、議論の中で「満場一致」が生じることは、「多様な意見が表明されにくい場になっているのではないか」と疑うことが大切です。

また、そのような場になりかけたときに「これはおかしいぞ」と気づき、そして適切な選択をできるよう、普段から準備しておきたいものです。
  • 「満場一致のパラドックス」とは、「満場一致の見解が結論として出たとするならば、その見解は正しくない可能性が高い」というものです。

    たとえば、「コイントスでは表のほうが裏よりも出る確率が高い」という仮説を立て、その検証のためにコイントスを実際に行ったとします。
    試行回数は100回とします。

    「表が100回中52回出た」としたらどうでしょうか。
    なるほど、ひょっとすると、「コインの表裏では彫られた模様の違から重さのバランスが異なるので、表のほうがより重たいからだ」等の結論は導けるかもしれない...という気はします。

    「表が100回中65回出た」としたら、ますますその可能性を感じるかもしれません。

    しかし、「表が出たのが、100回中100回だった」としたらどうでしょうか。
    これはもう、実験の仕組みそのものを疑うべきでしょう。


    上記の例は「コイントス」に関するもので、集団での議論や多数決のような個人の意志の集約とは異なります。

    でも、とある議題について10人でディスカッションして全員の意見が一致するようなことがあったならば、そのときは、「全員の意見が一致したならば、その結論は間違いないだろう」ということではなく、「議論の進め方に問題があったのではないか」と問うべきだというのが「満場一致のパラドックス」が示唆することです。

    実際、もしも「満場一致」の見解が議論で出たならば、たとえば以下のようなことは見当すべきでしょう。

    1. 参加者の意見表明に強力な力を加える圧がどこかからかかったのではないか。
    2. 参加者の判断を誤らせるような偏見がかかっていたのではないか。
    3. 参加者の選定に偏りがあったのではないか。
    4. 手続きに進め方に問題があったのではないか。


    1. 参加者の意見表明に強力な力を加える圧がどこかからかかったのではないか。

    ムラ社会ではよくあることです。
    有力者の権威が強くて、参加者にとって、その有力者と異なる意見を有するとみなされるだけであとあと不利益が生じるのではと思わされるような場です。

    そんな場では、意見の表明を求められても、参加者は、「有力者の意見と異なる意見を表明するのは控えよう」と考えてしまいがちです。
    むしろそれ以前に、「有力者と同じ意見を持つようにしよう」と無意識に思わされるようにすらなってしまいます。


    2. 参加者の判断を誤らせるような偏見がかかっていたのではないか。

    「殺人事件の容疑者が5人います。それぞれ、以下のような風貌でした」となったとき、あなたならば、誰がいちばん怪しいと感じるでしょうか。

    ・容疑者A: 小柄で色白でメガネをかけた図書館の司書
    ・容疑者B: ネクタイ、スーツ姿の、オドオドした様子のIT企業のエンジニア
    ・容疑者C: エプロン姿のお料理好きそうな女性
    ・容疑者D: 多くのタトゥーとピアスをした、「自称経営コンサルタント」の男性
    ・容疑者E: スポーティな格好をした、アクティブで元気な印象の女子大生

    人間の記憶なんてあいまいなものです。
    「そのときその場であなたが見かけた人物は、鼻にピアスをしていませんでしたか」なんてしつこく聞かれていると、最初はそんなことはないと思っていても、だんだん「そうだったかな」という気になってしまうものです。

    実際、犯罪捜査の世界では、目撃者の証言があまりにも一致しているときには、調書の取り方等の捜査の進め方自体に瑕疵があったのではないかと疑うべきとされているそうです。


    3. 参加者の選定に偏りがあったのではないか。

    現場部門からの参加者がない管理部門だけで集まった会議で予算編成を行い、について話しあい、「今年は去年同様に前年比15%増の売上・利益を見込んで予算を編成すると決定した」といった場合です。

    予算編成会議には、現場の意見を代表して率直に意見を述べられるような参加者を含めるべきでしょう。


    4. 手続きに進め方に問題があったのではないか。

    「議論の進め方」ではなく、このメルマガの読者向けにITの事例で説明するならば、「プログラムの動作確認」をしていたとして、「そもそも動作確認の方法に問題があった」というような場合です。

    品質について未知なプログラムの動作確認をして、「どのテストも100%通りました」とか「どのテストも100%失敗しました」とかいった結果が出たのであれば、テストそのものを一度は疑うべきでしょう。

    あるいは、ネット投票のシステムで「◯◯候補者が100%の得票をしました!」というような場合です。
    「その候補者にそれほどの人気があったのだ」という結論を出す前に、先に疑うべきは、ネット投票システムのバグのほうでしょう。


    ほかにも、「議題がそもそも不適切なのではないか」等、満場一致のパラドックスの理由としては、いろいろな可能性が考えられそうです。


    上記のとおり、議論の中で「満場一致」が生じることは、「多様な意見が表明されにくい場になっているのではないか」と疑うことが大切です。

    また、そのような場になりかけたときに「これはおかしいぞ」と気づき、そして適切な選択をできるよう、普段から準備しておきたいものです。
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「満場一致のパラドックス」については、以下のYoutubeの解説も分かりやすくておすすめです。
「ハイルブロンの怪人」という欧州で疑われた連続殺人事件についての話など、興味深いです。

るーいのゆっくり科学「【ゆっくり解説】満場一致という最も危険な選択-満場一致のパラドックス-」
https://www.youtube.com/watch?v=cSQIpirgTUc

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